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中小企業で働くワーキングマザーの日常

ダイバーシティがもっとも遅れているのは家庭内かもしれない~ワンオペ育児で育ったWMの私~

夫が家事育児を当然にこなす我が家。私は子供たちには「こんなにいいパパいないんだからね~うちは幸せなんだよ」と冗談のように伝えて、日々の夫の苦労をたたえている。でも、最近こういう言い方をちょっと止めようかと思った。

 

家庭生活は究極の多様性があるのに閉鎖的

家庭の形はそれぞれだ。共働き、片働き、家事育児の分担、子供の数やかける教育費…家庭生活ほど親の価値観を顕著に表わすものはなく、100人100通りの家庭がある。職場の人材多様性なんかより、よっぽど家庭生活は多様だ。

その一方で家庭はとても閉鎖的で、多くの人が自分が育った家庭以外のことを深く知ることはめったにない。せいぜい配偶者の家庭を知り、その違いに驚いたりするぐらい。

だから人は家庭を持つと、自分の育った家庭の形を基準に、時には反面教師にしながら、「どういう形が幸せなのか」を考えることが多い。だってそれ以外に基準がないから。

つまり、家庭生活は何よりも多様性に富んでいながらも、その多様性を知ったり、認めたりすることがとても難しい。そして私はいま、その矛盾に苦しさを感じている。

 

 

ワンオペ育児で育った私

私の両親は当時大多数であった、企業戦士と専業主婦という組み合わせだった。当然、母は平日一人で育児をしており、平日に父と夕食を囲んだ記憶は(少なすぎて)残っていない。父は仕事ができたようで、順調に出世し、最終的には役員にまで登りつめた。当時のステレオタイプの家庭としては、大いに成功例だったのではないかと思う。

一方の母は女子の大学進学率が10%程度の時代に大学を卒業し、男女平等的な理想を持っていた。ところが、現実的にはあっさりと時代に飲み込まれ、家庭に入らざるを得ず、さらに夫である父は「男は家事育児なんかやらね」タイプだったので、大きく落胆することになる。

当時貴重だった女性の大卒という肩書を持ちながら、家庭に飲み込まれた母はそのエネルギーを子育てに注いだのだろう。料理教室や洋裁などの習い事をして、私と姉の2人に手作りのおやつを作り、学校から帰ってくるのを待っているようなザ・専業主婦だった。幼いころの写真には、よく母が手作りした姉妹おそろいの洋服を着ている姿が出てくる。私たち姉妹はそれが「ふつう」の家庭だと思って、過ごしていたし、幸せな幼少時代だったと思う。

 

我が家はそれでも幸せ…と思いこませたかった母

そんな母は父親不在という家庭のあり方に大きな不満を感じつつも、家庭内調和のために、私たちが父親をさげすんだりしないように、父の生き方を尊重していた。

要は「お父さんが一生懸命働いてくれるから、私たちが暮らせるのよ。感謝しなくちゃね」と言い続けた。私たちが家事を手伝わない父に疑問を感じれば、「お父さんは稼いでいるからいいのよ」と言い続けたのだ。(大人になって聞いてみたら、不満ばかりだったそうだが)この洗脳のおかげで私たちは父のことを今でも好きだし、お金に困らない生活をさせてくれた父に感謝している。

さて、ここまでは、現代でもよくある家族の姿ではないかと思う。要は夫が家事育児ノータッチであっても、(いまどき、パパだって育児するのに…)という不満を見せず、家庭内調和のために、子供とパパの関係性のためにという思いから、「幸せな家庭像」を子供に見せたい…という人。けっこういたりする。私も一見、この考え方はとても「大人」で良い割り切り方だと思っていた。ところが、もともと閉鎖的な家庭生活で「幸せな家庭像」を定義することは、その多様性を認める足かせとなる。閉鎖的ゆえに、他の価値観を否定しやすくなるのだ。例えば専業主夫家庭とか、もちろん時代的なことも大いにあるが、結婚後もながらく私は想像さえできなかった。

 

 理想と現実のギャップに苦しむ私と姉

母の教え通り、自立して子供を産んでも働き続けている私と姉は今、大きな悩みを抱えている。それは、私たち姉妹は、ワンオペ育児や家庭を顧みない父を肯定され続けたがゆえに、夫や保育園など自分以外の人に助けを求めることに必要以上に罪悪感を感じてしまうのだ。(これはワンオペ育児を肯定されて育った男性が家事育児を求められる時にも言えることだろう)

ついでに、母が手作りおやつや洋服など手をかけてくれたような育児を、ワーキングマザーをしながらでは、とてもこなせないというジレンマもある。

自立して、働きつつも母のように手をかけた子育てをしたい、一方で夫にはあまり負担をかけたくない…そんな矛盾に私たち姉妹は苦しんでいる。こういう自分の育った家庭と自分の築いた家庭のギャップに苦しむ人、けっこう多いのではないか。

我が家は核家族だったので、他の家庭の子育てを私たち姉妹は知らない。育児の手本は自分が育った環境でしか想像できないのだ。もちろん、反面教師にするような家庭に育った人もいるだろう。だけど、他の家庭を知らないまま「幸せな家庭の形」(と思い込まされていたとしても)で育った私たちが、「子供のため」と思って自分たちが経験したことを切り捨てるのは、とても難しいことだ。

 

家庭の苦労を見せないことは美徳

思えば両親は私たちに「幸せな家庭に育った」と思ってほしかったのかもしれない。よほど毒親でない限り、私も含めて多くの親は自分の子供に「幸せな家庭」に育ったということを植え付けたいと思うのは自然なことだ。いや、そりゃ「不幸な家庭」とは思わせたくないだろう。でも、振り返ってみると母は必要以上に良く見せようとしていた気がしてきた。

だって母は口では「お父さんのおかげ」といいつつ、いつも辛そうだった。もっと「本当はこうしたいんだけどね。こうなったらお母さんとしては、ベストなんだけどね」って言ってくれても良かったのに。きっと子供になるべく苦労を見せたくなかったのだろう。その気持ちは親になったいま、すごく分かる。

紆余曲折あり現在ワンオペの対極となった我が家だってパタハラや夫のキャリア形成などなど、ダークサイドはたくさんある。子供たちが家庭を持つ頃には、古い形になっているかもしれない。

「自分の家庭は幸せそのもの」と思えることは幸せなことだ。でも私のように自分の育った家庭以外を知らず、盲目的に「幸せ家庭像」を信じて、今の自分の家庭とのギャップに苦しむようなことを子供にはしてほしくない。そう思ったら、もちろん夫のありがたさや希少性を伝えつつも、子供たちには少しずつその代償や他の家庭のあり方も伝えていきたいと思った。すごく難しいけれど、もし子供たちが結婚して家庭を持つなら、上手くやっていくヒントになる気がする。

 

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